呪怨2

ホラー映画は、新しい「怖さ」が発明されると、一瞬にして大勢の人の知るところとなる。やがて、その「怖さ」はどんどんと洗練されていき、多くのクリエイターたちが手本とする。そして、最終的にはギャグになる。

呪怨2」の最後の手術室のシーンを観ながら、ふとそんなことを考えてしまった。あのシーン笑えなかった?

呪怨2」において、清水崇の演出はますます洗練されてきている。清水崇の演出の特徴として、以下の2つが挙げられる。

① 鏡やVTRへの「霊」の映り込み
② 時間軸・空間軸への自由な交差

①に関しては比較的、多くの人に知られるところとなった。だけど②に関してはまだ気付いていない人もいるかもしれない。しかし、「呪怨2」の「朋香」の章において、彼の第二の特徴が見事に反映されていたと思う。物語として、第二章はたいへん完成度が高く、「呪怨2」の中でも秀逸な箇所であった。

だが、正直に言ってしまうと、ちょっと飽きた。「呪怨」を観たときは非常に衝撃を受けたにもかかわらず、もう「飽きた」などと言ってしまうのは観客のワガママ以外の何者でもないのだが、しかし、正直そうなのだから仕方がない。

現時点で、清水崇の演出スタイルはほぼ完成してしまっている。となると、清水崇が次に進む方向は、もし不幸にして彼が他の多くのホラー映画監督と同じ道をたどるのだとすれば、過剰な描写となるだろう。

本作のクライマックスはこうだ。手術室でノリPのお腹が光り出し、周りの医者達はフラフラ倒れ込み、子宮の中から貞子みたいな怪物が産まれる………。

んなアホな。怖い、と感じる前にまずこの言葉が口をつくだろう。その後に、力無く笑い出してしまうだろう。余りの非現実さに、余りのバカらしさに。

勿論、このアホらしさというものはホラー映画において非常に重要な要素である。だが、日本のホラー映画が世界に認められたのは、おどろおどろしさやこけ脅し的演出が主流を占めた米国産ホラー映画の嘘くささに嫌気がさし、日本産ホラー映画の持つ徹底したリアリズムに惹かれたからではなかったのだろうか。

呪怨2」は良作である。だが、2004年にハリウッドでリメイクされる「呪怨」は果たして大丈夫なのか?といった不安を残す作品でもあった。果たして、どうなることやら。あ、ラストシーンは「穏やかな怖さ」が徹底されていて、非常に素晴らしかった。この方向性でいって欲しいんだけどなぁ。