獣兵衛忍風帖 第6話「雨宿り」

前回は画面的にちょっと不満であったのだが、今回はオッケー。パースが強調された「飛び出る」画面、グロ描写、エロ描写。どれをとっても、とっても山田風太郎テイストだ。もっと言うとアレだ、くの一忍法帖テイストだ。とは言ってもどちらもちゃんと見ていない(読んでいない)から、イメージで語っているんだけど。

あー、それと今回は何気ないセリフに獣兵衛の生き方や哲学が滲み出ていて、良かったですね。仇討ちのために獣兵衛に襲いかかり、何故、自分の夫を殺したかと問いつめる際のやり取りが秀逸。

「何故、殺したのです?」
「さぁな。刀が触れあったかで因縁をつけられたのだろう」
「………それだけで?」
「武士っていうのは、そういう輩よ」

ここには、獣兵衛の武士に対する侮蔑が見てとれる。その少し前に、獣兵衛が幾人もの人間を斬ってきたことを話す場面がある。つまり、獣兵衛は元々は武士であったのだが、武士の世界に嫌気がさしたか何らかの理由で、現在は雇われ素浪人のような生活を送っているということなのだろう。ひょっとすると、武士との間で何かしらいざこざを起こしていた過去があり、その際に幾人もの武士を斬ってきたということなのかもしれない。いずれにせよ、獣兵衛の過去の秘密を示唆する、奥深いセリフである。

「さ、どうする? 俺を斬るために追い続けるも、お前の自由だ。後は、お前自身で決めろ」
「………私は、強く生きます」
「………これから、どちらへ?」
「さぁな。俺にも分からねぇ。ただな、自由に生きるってのは、そういうもんだ」

ここで、獣兵衛の生き方ははっきりと「武士」の生き方と一線を画したものであることが示されている。「士官のための仇討ち」という依存的な生き方ではなく、真に独立した、自由な生き方を獣権兵衛は選んでいる。それは孤独で、不安定であり、行く末の分からないものである。だが、(追っ手に追われるという)危険と不安と孤独を背負ってでも、「自由」という生き方を選択している獣兵衛にダンディズムを感ぜずにはいられない。おそらく、これが「時代劇的ダンディズム」というものなのだろうな、と時代劇に明るくない私はそう思うのだった。