鉄人28号 第23話「裁かれる鉄人」

えっ? ニコポンスキーが敷島博士だったって? ちっとも気付かなかったYO!!

という人間が一人くらいいてもいいんじゃないかと思うのだけれど、どうなのだろうな。まぁ、いないよな。それって、物語としてかなり問題があるとは思うのだけれど、でもこの作品の場合、それも幾多の「ツッコミどころ」の一つに過ぎないんだよなぁ。「鉄人28号」は作品へのツッコミどころが多すぎて、その「ツッコミどころ」自体が魅力となってしまっている、ちょっとイビツな作品になってしまったなぁ。今川泰宏監督作品の常と言ってしまえば、それまでなのだろうけれど。

「戦争」とその後に続く「高度経済成長」を絡めて、「人類の科学開発の功罪」という大きなテーマに一歩も退かず真っ向から取り組もうとするその姿勢自体は、非常に立派だと思うし、意義のあることだとも思う。だけれど、私には今一つそのテーマ自体がピンと来ないんだよなー。

「鉄人は用いる人間次第で、恐ろしい『兵器』にもなり得るし、人類の発展に役立つ『道具』にもなり得る」

これは、実は非常に現代的な問題なのである。たとえば最も分かりやすい例では、「原子力発電」が挙げられるだろう。「原子力発電」は『兵器』のように直接的な破壊行為をすることはないものの、やはり非常に『危険』な存在であることは否めないであろう。だが、同時に電力供給という人類にとって非常に重要な役割を果たしてくれてもいる。
勿論、『原子力』ではない、もっとクリーンで安全な電力源があればそれに越したことはない。勿論、何年も前から風力や太陽光による発電は実用化されている。しかし、大量で安定した電力を供給するためには、現状では『原子力』に依存せざるを得ない。ここに、人類の大きな「ジレンマ」が存在する。

こういった「ジレンマ」を描くことが本作品の目的なのだろうなぁ、ということは理解しているつもりではあるのだけれど、作品のテーマが切実で逼迫した問題として私の胸に迫ってこないのだ。
「別に『兵器』でも、『道具』でもどっちでもいいんじゃん? 使う人次第でしょ?」
って思ってしまうのである。今回の裁判も、どこかほのぼのしているというか、脳天気というか。子供の涙やジジイの思い出話だけで、「鉄人」の処理をどうするか決定することなどできる訳はない。各人の思惑が複雑に絡み合い、固く結び合ってしまっているため、個人的な感情や理想論では状況を全く動かすことができないという最低限の現状認識を示しておかないと、これからどう物語が展開しようとも結局肝心の伝えたいテーマが上っすべりしてしまうだけではないだろうか。

さもなければ、こんな小難しい話は止めて、素直にロボット・アクションをバンバン見せて欲しいのだ。今川泰宏監督の「鉄人28号」にファンが期待したものは、まさに「痛快ロボット・アクション」に他ならないのだから。