マリア様がみてる〜春〜 第12話「青い傘」

最高の演出。最低の脚本。(と言うか、原作)

これが、前回「レイニー・ブルー」を観たときの私の感想であった。ま、いつもの私の早合点であった訳で、前回からの続きで今回の話を観たおかげで、「最低」と即断するにはまだ早いのではないかと考えるに至った。いずれにせよ、来週の決着を見届けるまで、何とも言えないのだけれど。

「スール」だとか、「アンブゥートン」だとかの耽美な用語と、松島晃の美麗なキャラデザについつい引き込まれて忘れてしまいがちなのだけれど、これ、所詮は幼い女子高生たちのママゴトごっこの話なんだよな。だから、前回、大人としての説明責任を果たしていない祥子様の不可思議な行動も、「仕方がない」と言ってしまうこともできるのである。だって、まだ「子供」なのだもの。(もっとも、来週あたりで、祥子さまが何故、祐巳ちゃんに口を閉ざしていたかの真相が明らかになりそうだけれど)

今回、面白かったのは、祐巳が「祥子様以外に眼を向けることで、世界が広げる」ことができたという点だ。耽美的な世界観を支えているのは、言うまでもなく閉鎖的な空間と、少人数による濃密な関係性である。(勿論、後者には「自分が選ばれた人間である」という優越性がしばしばつきまとう)これまで「マリみて」はその「耽美的」な世界観を踏襲した最たる作品であり続けた。つまり、「その手の趣味」を持たない人間にとっては、何だか勿体ぶった、ちょっと薄気味悪い世界観を持った作品であったのだ。

それでも私が「マリみて」を支持し続けたのは、原作者も、登場するキャラクターたちも、自分たちが「耽美ゴッコ」をしている事に、どこか自覚的であり、いずれはそこから「卒業」しなければならない事を気付いているからだ。

ここにきて、最も「耽美的」な世界に閉じこもっているはずの「マリみて」で、「いろいろな人と付き合うと世界が広がる」という、地に足の着いた視点が導かれるのは、非常に興味深い。人によってはビックリするかもしれないし、失望される方もいるかもしれない。この言葉の持つ意味の重みを、まだ気付いていない方もいらっしゃるであろう。(もっとも、現時点では「まだ、それでいい」のだが)だが、これは出るべくして出てきた、必然の流れであったように思う。

さて、次回はどのように話の決着をつけるのであろうか。まぁ「元サヤ」になるには決まっているのだけれど、そこまでの過程をどう描くかで、「マリみて」の今後の方向性がはっきりするのではないかと、私は密かに期待しているのだ。