舞台「MIDSUMMER CAROL 〜ガマ王子vsザリガニ魔人〜」

インファナル・アフェア」に引き続き、何となくWOWWOWをつけていたら、この作品が放映されていた。で、何となく観てしまった。いやぁ、面白かった! 舞台とか、観に行くことも、テレビで観ることもほとんどないので、新鮮であった。

舞台は、編集や撮影がない分、役者の演技と物語の良さを集中して堪能することができるのがいいよなぁ。(きっと舞台を観に行けば、生の演技をもっと堪能できるのだろうな)本作品でも、役者一人一人にきちんとスポットが当たり、一人一人の魅力が存分に発揮された構成となっていた。このあたりも、演劇の魅力というものなのかもしれない。
伊藤秀明&長谷川京子がメイン扱いであるように宣伝されていたけれど、これ、明らかに大貫ジジィ役の木場勝己と女の子パコ役の加藤瑞貴が主役だよなぁ。木場勝己、舞台を狭しと走りまくる走りまくる。とても55歳とは思えないな。役者陣の中で間違いなく最もエネルギッシュな演技を魅せてくれていた。
勿論、他の役者も良かった。犬山イヌコは雑誌の写真や、後は「ポケットモンスター」役のニャースの声で知っていたのだけれど、実物の動いた演技を観たのは初めてだった。ベテランらしく、活き活きとオバサン木之元を演じていました。ガマ王女を演じる時に、ダミ声で絶叫するところは、ニャースにしか聞こえない(笑)。」
また、ラーメンズ片桐仁も想像通り、存在感溢れる演技で良かった。アドリブで相手役の長谷川京子を吹き出させたり、美味しいところをポイントポイントで持っていってたなぁ。
勿論、主演の二人も良かった。伊藤秀明も良かったし、長谷川京子も蓮っ葉な女の子を実に堂々と演じていた。この演技で、「何となく可愛くて、売れている女の子」という私の彼女に対するイメージは大きく覆されることとなった。やるじゃん、ハセキョン。近くで見たら、そんなに可愛いくもないところが、逆に私にとってはポイント高かったり。(←単なるヒネクレ者)

話的にはディケンズの「クリスマス・キャロル」の再解釈といったところか。本家ディケンズ版では、主人公のごうつくジジィ、スクルージが自分の「過去・現在・未来」を観ることで、自分のこれまでの人生を反省するといった流れであった。後藤ひろひと版では、「1日しか記憶を保つことのできない少女」が現れることで、偏屈ジジィが少しずつ改心していくという流れになっている。大貫が自分が過去になしてきた事や、現在持っているしがらみと完全に離れたところ、つまり「一日一日という瞬間」に少女と交流する事で、徐々に人間性を回復していくという流れにしたところがミソなのであろう。「自分の人生を俯瞰」するのではなく、「瞬間瞬間を見つめ」てこそ、人間は素直に自分自身を表現できるのだという後藤ひろひとの視点は、ディケンズ版がどちらかというと哲学的・文学的であったのに対して、我々の生きる日常に即したリアルなものであると思う。ベタベタな「お涙頂戴もの」でありながら、やっぱり観ていてジーンときてしまうのは、本作品が上記の視点をきちんと備えていたからだと思う。

だからこそ、少女の死で話を終えるのではなく、その後、大貫を初め病院のメンバーがどうなったのかを是非描いて欲しかったのだけれどなぁ。でも、大貫の甥の息子(役名忘れた)がなくなった絵本をつなぎ合わせるために、病院メンバーを訪れるという本作ラストの方が、ヘンに話に決着をつけるより、観客に想像の余地を残すという意味で、GOODだったかもしれない。

ところで、勿体ぶった貴族口調で話す堀米を演じていたのは、本作の脚本家でもある後藤ひろひとであったのか。てっきり川平慈英かと思ってしまった。