「アマテラス」「アマテラス 倭姫幻想まほろば編」 美内すずえ[manga]

アマテラス (第1巻) (あすかコミックス)

アマテラス (第1巻) (あすかコミックス)

ガラスの仮面が」日本中で数百万単位の人々が続刊の発行を一日千秋の思いで待っているのに対して、「アマテラス」に関してはその存在すら知らない人が数十万単位、むしろ邪魔な存在で、ぶっちゃけなかったことにして欲しいと思っている人が数万単位でいそうである。超・超長期にわたって続いている作品を抱えていながら、別誌(「ガラかめ」は白泉社系の「花とゆめ」、「アマテラス」は角川系の「ASUKA」)で新連載を始めた時、心あるマンガファンの反応は想像に難くない。新しいのを始めるのはいいが、きちんと区切りをつけてから次に行くべきではないのか。しかし、本作を眼にしたファンたちは新たな、そして猛烈な懸念が胸を占めることになったのだ。
「大丈夫なのか、作者? って言うか、帰って来れるの? 『ガラかめ』はひょっとして未完の大作になるんじゃないのか?」
「666計画」だの、「アメノミナカヌシ」だの、「ラ・ムー」だのといった宗教系のキーワードが頻発したり、神と人間の関係について延々と何ページにもわたって説教を受けたりと、本作からはヤバ気なオーラが漂いまくっていた。話のネタとして日本神話やムー帝国を持ち出したのではなく、作者自身がリアルに「何らかの教え」を信奉していたことは、もはや誰の眼にも明らかであった。それまでの多くのファンは腰が引け、戸惑い、そして少し冷静になった後に上記のことを思ったに違いない。

このへんの下りについて、少し調べてみたのだけれど、いや面白いなぁ。美内すずえ先生は神の生まれ変わりだったのですか。そうですか。

http://forgirls.hp.infoseek.co.jp/m.html#miuchi

で、美内先生が信奉していらっしゃると思しき宗教は以下のurl。あー、細野晴彦や中沢新一も入ってるよ。影響力デカいんだな。

http://www2.convention.co.jp/sarutahiko/html/forum/howabout2.htm

と、まぁ「ガラスの仮面」ファンにとっては、美内すずえを天の岩戸(笑)に閉じ込めさせたそもそもの原因=宗教を象徴しているという意味で、非常に憎らしい作品であり、積極的に無視された可哀想な作品でもある。だって、この作品自体が超・超長編になりそうなスケールの大きさだものなぁ。「ASUKA」で連載が1984年からスタートして、案の定休載して、案の定未だ終わっていないしな。かなり長いこと放置されているのだけれど、作者としても完全に忘れてしまっているのではないらしく、2000年に唐突に続きの第4巻が発表されていたりする。ガラスの仮面42巻が発表されるまで6年のインターバルがあったことを考えると、今年か来年あたりに続刊が発表されるかもしれないな。

まぁ、でもそれほど悪くないよ。こういった情報はある程度は耳にした上で私は本作を読んだのだけれど、なかなか興味深く読ませていただいた。

まぁ「ムー帝国」も、ユダヤ教も、キリスト教も、アミニズムも、日本神話をも全てごった煮にしてしまう力業はどうかという気もするけれど、でも大半の新興宗教が既存の宗教のごった煮な訳だから、これはむしろ当然の帰結と言えば言えるかもしれない。(「666計画」って書いてるけど、「666」の数字が出たのは旧訳聖書ではなく、新約聖書である。まぁ「月刊ムー」的発想で、両者を強引に結びつけて考えているのかもしれないけれど)物語前半において、沙耶がプラネタリウムで観た神の存在が、具体的な人の形を伴うものではなく、幾何学的形状(渦巻きとか、波形とか)であったというところはなかなか面白い描写であった。また、同じく前半部分で沙耶のおばあちゃんの言うセリフ「おばあちゃんは人間の作った神様なんて信じないよ。ホントの神様ってのは…(中略)…目に見えない大きな力だと思うんだ」も、アミニズム信仰を感じさせ、なかなか興味深い。こういった視点で物語を進めていけば悪くないかな、と思っていたら、後半は自分が言った言葉をすっかり忘れたかのように沙耶の御神体化と、お話自体のトンデモ化(「UFO=宇宙人=神」という、いかにも「月刊ムー」に載っていそうな。いや、「ムー」読んだことないから想像で語ってるのだけれど)が進行していき、どんどんと収集がつかなくなってくる。

とにかく、あらゆる宗教・伝説・逸話を1つの器の中にぶち込んで、それらを一切まとめようとせず、さりとて一切を否定せず、強引に話を進めていこうとしている。その力業はさすが美内すずえだとは思うけれど、やっぱり信者でない読者にとっては段々とキツくなってくるよなぁ。別に、作者が何を信奉していようが、作品内で説教をかまそうが、それはそれとして作品個別で楽しんだり、評価を行うといったことはできると思う。「アマテラス」は思いっきり風呂敷を広げようとして、もはや収集がつかないくらいに風呂敷が広がって傍目からは絶対に畳めないコレって見えるのに、まだまだどんどんと広げようとしている感じがある。そこまでいってしまうと、もう破綻している訳だから、後は「破綻している様を楽しむ」という楽しみ方しかできないよな。ま、「アマテラス」本編に対しては、別に続きが読めなかったとしても全然困らないなぁ。その点、「まほろば編」は物語舞台を日本に絞っている分、作者本来の構成力・演出力がそこそこに活かされ、なかなか楽しめる佳作に仕上がっている。って、コレもまだ終わってないんだよな。メチャクチャ中途半端なところで終わっているから、コレは続きが読みたいよなー。

ま、美内すずえも、彼女が信奉している宗教も、思ったほどヤヴァ気なものではないので、とりあえず安心しました。別に人に迷惑をかけるものでなければ、人が何を信じても私は別に何とも思わないしな。「アマテラス」自体も収集がつかなくなっているとは言え、そこまでメチャメチャ痛々しいものでもないし。普通に読み物として楽しめる………には、ちょっと宗教色が強すぎるけれど、ま、そこまでヒドいものではない。だから、ま、コレはコレであっていいですよ。でも「ガラスの仮面」のことを考えると、やっぱり邪魔な存在なのかもしれないなぁ(苦笑)。