「藍より青し〜縁〜」第1話・第2話

典型的なハーレムラブコメであり、スタッフもそのことに対して非常に自覚的に作っている。だから非常に風通しが良く、爽やかな作品となっている。良いと思う。

ここで述べた「ハーレムラブコメ」という定義は、何も本当に主人公が女の子を取っ替え引っ替え横にはべらかして、毎晩SEXにうつつを抜かしている、ということではない。アニメ好きな人なら分かると思うが、「まぶらほ」でも「藍青」でも実際にSEXを描かれることは全くない。パンチラや、着替えの覗き、胸タッチなど、嬉し恥ずかしシーンは山盛りでも、それがSEXに発展することはない。勿論、観客がそれを不満に感じることもない。むしろ、観客はぬるま湯のような女の子たちと主人公の関係を期待していると言っていいだろう。

「ハーレムラブコメ」とは、男女の恋愛模様を描くことを本義としているものではない。もしそうであるならば、女性同士の関係がもっとギスギスしたものになるはずだが、「藍青」における女の子たちはみんな仲が良い。そうでなければならないのだ。「ハーレムラブコメ」が指向する世界観とは、誰もが幸せで、仲良く、平和な関係性を維持していくことにあるのだから。

「幸福な共同体」の形成と維持。これこそが「ハーレムラブコメ」が指向し、また提示するものであるだろう。一見、「モテモテの男の子を巡って女の子達が争い合う」ように見える設定も、実は「一人の男の子を中心に配した、調和のとれた共同体」=「家族」的な世界観が構築されていることに気付くだろう。つまり、主人公=花菱薫は「女の子達の恋人」である以上に「父親」である、ということになる。

上に記したことは第1話における神楽崎雅の以下のセリフで暗喩的に示される。
「私にとって、(薫を)好きか嫌いかは重要ではありません。 薫様は、絆そのものです。」
この後で、「縁(えにし)」という単語を用いて、作品世界における「幸福な共同体」のあり方を説明している。(物語内では、「葵は薫のことが好きなのか」としつこく食い下がる水無月ちかに対して、「私たちは縁でみな繋がっている」と優しく語りかける場面がそれにあたる)

この説明よりは、雅のセリフの方が作品の世界観をよく表している。が、それは大して問題ではない。重要なのは、物語の第1話で、作品が明確に「幸福な共同体」を指向したものであることを示した点にある。これまでも、「ハーレムラブコメ」は「幸福な共同体」を指向してきた。しかし、ここまで明快に「共同体性」を主張し、また肯定的に示した作品は、僕が記憶する限り存在しなかったように思う。これを「成熟」ととるか、「開き直り」ととるかは、まだ判断が悩むところである。しかし「藍より青し」の作品の魅力や、また作品が提示する幸福な世界観や優しい視線を、僕は非常に愛していることだけは疑うことのない事実である。

うーん、第2話でも記しておきたいことがあったのだけど、それは次回に回すか。少し長く書きすぎたし。