新選組! 第32回「山南脱走」

切ない。ドラマを観てこんなに切なくなったのは久しぶりだ。何て哀しい男なのだろう、山南敬助は。映画「アマデウス」におけるサリエリのような、「中途半端な秀才」ゆえの不幸を背負った彼の姿を見ると、切なさが込み上げてくるのを抑えることができない。もっと切ないのは、山南敬助サリエリとは異なり、とことん「いい奴」で「大人」であることだ。あぁ。

と、切なさに浸ってばかりもいられないので、今回の感想を。今まで少し精神分裂気味に(私には)見えていた近藤・土方両リーダーが、久しぶりに自分の立ち位置を明確にしたのが良かった。冒頭の土方のセリフは、彼のこれまでの強引な締め付けを非常に説得力のある形で裏付けてくれるものであった。
新選組は烏合の衆だ!! そいつらをまとめるのは、力で締め付けるしかない!!」
また、松本良順の意見に影響を受けた近藤は、「ただ単に外国に立ち向かうだけでなく、まず海外から学ぶべきことは学び、国力を蓄え、その上で外国と一戦を交えるべきだ」と、久しぶりに組織の上に立つものに相応しい明快なヴィジョンを示してくれた。ここに来て、近藤勇はようやっと本作品における坂本龍馬と同じ見解に立つことができたのだ。

しかし今回の話が非常に説得力があった分、前々回の建白書提出の話について、前に感じた疑問が再び頭をもたげてきたのも事実だ。法度で厳しく隊士たちを制してきたはずの新選組において、何故に尾関雅次郎や葛山武八郎はノコノコと仲間に加わったのだろうか。「島田魁に脅されたから」(尾関雅二郎)や、「山南さんに言われたから」(葛山武八郎)という理由だけで彼ら二人が建白書に名前を連ねたとすれば、彼らは烏合の衆を通り越して、白痴という他はないだろう。建白書に名前を連ねるということは、「リーダーに文句を言う仲間」に入っていることくらい、どんな下級隊士にだって分かるはずである。そして仲間に入る以上、彼らは少なくとも「死ぬ覚悟」を決めていなければならないはずだ。もし、彼らにそこまでの覚悟がなかったとしたら、新選組は全体として非常に「ヌルい」、統制のとれていない集団ということになる。土方の理想とする力による管理体制が全く行き届いていないということになるのだ。たった、七十数名の隊であるにもかかわらず。

どんなに小さな会社でも、上司に対しては多少ビクビクしたり、こびへつらったりするものでしょう。もし上司に対して(直属でなく、トップだよ?)何でもズバズバ言う者がいるとしたら、その人はそれなりの覚悟を決めた上での行動であったりするでしょう。「どうせ気に入らなければ辞めたらいいじゃん」というセリフを多くの若者がこぼす現在においてさえも、下の者は上の者に対して必要以上に気を使うものなのである。ましてや、これは現在の話でもなく、「いつでも辞められる」会社の話でもない。幕末という「最も熱い時代」における、「脱走したら切腹」という厳しい法度を課した新選組の話なのである。なのに、この尾関&葛山のお気楽極楽さはどうだ。

新選組隊内の「ヌルさ」と、土方個人の「熱さ」が、非常にちぐはぐで物語的に噛み合っていない。だから、土方個人が暴走をしているように見えるし、実際に暴走している。(「烏合の衆を力で抑える」というのは非常に正しい意見ではあるが、だからといって葛山に切腹をさせたことが最良の策であった理由にはならない。この場合は、多くの隊士達の不信感を招くだけであろう)

あぁ、話が完全に土方歳三に行ってしまっていた。せっかくの山南さん主役回なのに。いや、確かに多くの土方シンパの方々のブログで語られているように、「土方は全面的責任を負っていて、敢えて汚れ役を買っている」という意見は頷けるし、「山南は意見を述べるだけで、責任を全面的に引き受けようとしていない」という意見も否定はしない。だけど、組織を円滑に動かしていくためには飴と鞭が必要であり、非常に優秀な「飴」である山南敬助の扱いをあまりに疎かにしてしまったのは、「鞭」である土方の失策ではないかと思うのである。それを見て見ぬフリをしてやり過ごした近藤勇は、土方歳三よりも、ある意味でもっと責任が重い。

荒れくれ者の集団であり、烏合の衆であるからこそ、土方の強引さと同様に、山南敬助の「人情」と「搦め手」による人事管理は重宝されるべきであった。山南が常に「No.2〜No.3」の位置から動かず、決してトップに立とうとしなかった事、すなわち、己の分と領分をわきまえていたことも、相談役に就く人材としては有り難かったはずである。(それは、山南が自己の才能の限界に自覚的であったことをも意味するのだが)

私は、山南敬助を高く評価している訳ではない。彼は「秀才」と皆から思われているが、実際には伊東甲子太郎や、それどころか武田観柳斉にも議論で言い負かされてしまう。知性においても、また度胸においても、二人に負けてしまっているのである。また、上に立つ者としての人間的度量もやや足りない。各ブログで散々指摘されているように、全面的に責任を引き受けられるだけの度量も持っていない。だが、プライドが高いために、まるで「全てを充たしている」かのように振る舞っている。そのプライドの高さも含め、山南敬助新選組隊内にあって、最も「キンタマの小さな男」と見なすこともできるのである。

だがだからこそ、新選組において最も冷静で、現実的な判断のできる男でもあった。そして、明日をも知れぬ寄せ集め集団である新選組に最も必要とされるスキルとは、山南の「冷静で、現実的な判断」であったはずだ。土方が余りに「冷静で、現実的に」なり過ぎようとしたために、逆に周囲が見えなくなり、暴走をしてしまっているのに対して、山南の一見日和見で、腰の引けた意見こそが、「現実を冷静に対処できる力」であったのではなかろうか。

あ〜、明里の前では、みんなの前でカッコつけてた総長としての姿ではなく、一人の人間「山南敬助」でいることができたのだろうなぁ〜。歴史を一向に憶えられない明里に対して、ムキになって怒り出す山南さんを見て、つくづくそう感じてしまった。ここまで山南さんが怒るのって、例の「軍議ではないかぁ〜〜!!」以来であることを考えると、隊内では彼がいかに本来の自己を隠してきたかが知られる。

その後で、山南がグッと明里に顔を近づけるシーンで、今週も萌えてしまった。山南敬助堺雅人も、明里@鈴木砂羽も、実に色っぽい。二人とも30歳を越えているが、皺が深く刻まれた二人の顔がアップにされると、その皺があるがゆえに余計に色っぽく感じられた。十代や二十歳そこそこのガキんちょには真似のできない、アダルトな色気である。いやー、いいもんを見れた。

しかし、山南敬助堺雅人はついに来週退場してしまうのかぁ。切なくて仕方がないなぁ。山南さんのいない新選組、後、伊東甲子太郎が入隊した新選組は、一体どうなってしまうのだろう。もはや、崩壊の道を徐々に歩き始めるしかないのではないかと思えるが、如何に。原田左之助永倉新八も、反乱にフラグが立てられて、いつ離反を起こしてもおかしくない状態になってきた。まぁ、物語としては面白いのだけれど、これまで見守ってきた一視聴者としては、彼らが一人一人退場していく事を考えると、やはり切なくなってきてしまうのである。