ほうせんか・ぱん 大島弓子[manga]

ほうせんか・ぱん (白泉社文庫)

ほうせんか・ぱん (白泉社文庫)

思春期特有の悩みとは何なのかと言えば、結局のところ「大人になりたくない」という悩みなのではなかろうか。勿論、「私は早く大人になりたい」と思っていたと言う人もいるだろう。だが、どちらも同じことなのだ。「思春期」が「大人」と「子供」の間の時期であるとするならば、正に思春期まっただ中にいる者たちにとって「そのどちらでもない状態」というのは、とてもムズムズして、悩ましく、いても立ってもいられなくなるような感じを与えるものなのだから。

大島弓子は数々の短編でこの「アンビバレンツな状態」そのものをテーマとしている。もっと言うならば、「思春期の状態」から「大人」へと成長していく、ほんのわずかの、しかしかけがえのなく美しい瞬間を切り取っているのだ。

では、「大人への成長」「大人への目覚め」とは具体的には何か。それは「性への目覚め」と「保護者からの自立」ということになるだろう。(実はこの2つは同じものなのだが、ソレについては後で述べることにする)

たとえば「海にいるのは…」では、ずっと1人の女性の理想像を想い続ける少年アレクサンダーが出てくる。だが、彼は後になってその理想像が、彼の幼い頃に亡くなった母親の姿であることを悟る。それと同時に、アレクサンダーは不器用ながらも自分を密かに想い続けてくれた少女ヒルデガードの存在に気付くのだった。そして、彼は1人待ち続けるヒルデガードを抱きしめるために、雨の中へと駆けてゆく………。

少年が抱き続けていた理想像とは、結局、彼の母親の姿であった。にもかかわらず、彼はその事実にずっと気付かず、またヒルデガードが彼に想いを寄せているのも気付かなかった。これは、彼がまだ「大人」へ踏み出すには精神的に熟していなかったからだ。そして、彼を後押しする役目が、彼の母親で娼婦であるアリスを深く愛していたオーガスティンであるというポイントも見逃せない。ここでオーガスティンは、子供を後押しする父親としての役割を持つことになるのだ。オーガスティン(=「父性的存在」)の後押しにより、彼は想い出の中の母親から脱却し、自分を愛してくれるヒルデガードの元へと走ることになる。つまり、ここでは「保護者からの自立」と「性への目覚め」は同時に展開されることとなるのだ。自分を無条件で受け入れ、守ってくれる「母性」の中に閉じ籠もっていたのが、「父性」の手引きにより、少年は「他者」である恋人のもとへと向かっていくのだ。本作品では、「恋愛」とはすなわち、子供が大人へと成長するために絶対に通らなければならない、一種の儀式のようなものとして描かれているのである。

「ほうせんか・ぱん」でも、「銀の実食べた」でも、「わがソドムへようこそ」でも、物語や出てくる登場人物は様々ながらも、「大人への自立と性の目覚め」をテーマにしているという点では一貫している。この短編集には、私やあなたが忘れてしまっている(若しくは思春期真っ最中にいる人は、自分では気付いていない)「美しい瞬間」が幾重にも織り込まれている。それははかなく、美しく、もう絶対に戻ることはなく、だからこそたまらなく愛しい思いで振り返ることができる永遠の宝物なのだ。