ハチミツとクローバー chapter3 [anime]

oippu2005-06-19


どう見ても中坊の竹本クンが、どう見ても幼女のはぐちゃんに欲情する場面が、ある意味ヤヴァ過ぎて、心臓に悪かった。(しかも、はぐちゃんの長い睫毛を観てコーフンするところなど、竹本クンのさり気にフェティッシュな性癖も見逃せないところだ)

いや、真面目な話、はぐちゃんが性欲の対象になり得るか、なり得ないかってのは、結構重要な問題なのだ。「愛してるぜベイベ」も「ハチクロ」も、「いろんな人の恋ばな」+「幼女(ゆずゆ&はぐちゃん)の可愛い仕草」を楽しむ話、という基本構造自体は一緒であると思う。だけど、いくら可愛らしくっても「愛してるぜベイベ」のゆずゆはリアル幼女であり、実際に「ヤれる」対象とはなり得ない。だからこそ、「萌え」が成立する。
だけど、「ハチクロ」のはぐちゃんの場合、18歳の女子大生っつう設定で、どれだけ容姿や言動が幼女丸出しだろうが、まぁ、「ヤれる」対象な訳である。そして、物語中には中坊男子(にしか見えない19歳大学生)のはぐちゃんに対する 「ヤりたい」という気持ちが、直接的ではないにせよ、はっきりと描出されるのである。つまり、恋愛感情の持つ最も生々しい部分が描かれているのである。この「生々しさ」が出てしまうと、「萌え」作品としては成立しにくくなってしまう。

もう少し踏み込んだ表現をすると、本作品で描かれる世界観は「個人の妄想世界内のステキ空間」ではなく、「リアルな空間」に基づいたものとなっているということだ。限りなく前者寄りではあるものの。

現実として「ヤれる」対象がいて、その対象に対してはっきりと「ヤりたい」という生々しい意志が描出される−しかも、その対象がちょっとロリコンっぽいとか、そーゆーんじゃなくって、もう、まんま幼女っつうところが、なんかスゴい。しかもこの作品が、所謂オタ受け作品ではなくって、ちょっとオサレな若者にも大受けっていうところが、スゴいを通り越して、ヤヴァさすら感じさせてしまう。

オタにしか受け入れられなかったはずのマニアックな嗜好性が、いつの間にか広く一般層に受け入れられることがある。ゲームの「ファイナル・ファンタジー」だって、マンガ「寄生獣」だって、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」だって、最初は「マニアックな人間だけが分かるマニアックな作品」だったハズなのだ。それが、いつの間にか一般層にとけ込み、広く受け入れられるようになる。「マニアックな嗜好性」は、いつの間にか「王道」へと変化してしまうのだ。

それ自体は私のようなオタにはむしろ喜ばしいことなのだけれど、だけど「幼女萌え」まで一般層に解禁されるってのはどうなんだろう。
「はぐちゃん可愛い(そしてヤりたい)」
って一般人が思うのって、オタの私が言うのも何だけれど、ちょっとキモくないか?

SPEEDが登場した瞬間、その後「あのメンバーの中だったら、誰がいい?」という質問がスタンダードになった瞬間、私は「総日本男子ロリ化」がここまで来たかと、個人的に大変な衝撃を受けた覚えがある。(勿論、この質問には「誰とヤりたい?」という性的な意味も含まれていた。「ヤりたい」って、この質問が頻繁に交わされた90年代当時、アイツらはまだ小学高学年〜中学生のガキんちょだった頃ですよ? その後、モーニング娘。の登場が決定打となり、日本の少なくとも半数以上の男性が「無自覚なロリ」へと変貌していったのだが)「ハチクロ」は、もしかするとSPEEDの登場以来の「一般層(っていうか、ちょっとオサレな層?)に対するロリ解禁」のベンチマークになり得るのではないかと、密かに考えている。それがいいのか、悪いのかは分からないが。いや、いいのか?私のようなオタには、暮らしやすい世の中になるから、いいのかもしんないな。

まぁ、イロイロと言ったけれど、基本的にはいい作品だと思うよ。はぐちゃん可愛いし。(ヤりたくはないが。でも理花とはヤりたいな)ヤヴァさや個人的な危惧感も含めて、今後も見守っていきますよ。(来週末あたりにハードディスクレコーダーに溜めたのを連続試聴しようかと思う)