機巧奇傅ヒヲウ戦記 第11話「なぜ?機巧嫌いの男」

百年以上に及ぶ徳川治世安泰のために、すっかり形骸化してしまった「武士」と、幕藩体制の動揺・外国からの圧迫に危機感を感じ、立ち上がった「草葬の志士」との対比を描き、その上で、決して滅びることのない「武士道精神」を描こうとする視点は面白いと思う。桜田門外の変から逃げ出して、今は坊主をしている元武士が、自らの「武士道」に立ち返って、身を呈してヒヲウ達や草葬の志士たちを守るというクライマックスも、確かに感動的であった。

でもなー。元武士の無元さんの行動に全然一貫性がなくて、精神分裂しているようにしか見えないんだよなー。二十数分という尺の中で、「無元さんの正体のネタばらし」と、「『武士』らしく生きようと決意するに至った、無元さんの心情の変化」の両方を描かなければいけないはずである。前者の部分は上手くいっていたと思うのだけれど、後者はイマイチだったように思う。無元さんが、一体いつ「『武士』らしく生きる」ことを決意したのか、その「瞬間」をはっきりと描いて欲しかった。ヒヲウ達との交流の中で、無元さんが過去の傷を癒していく「過程」は充分に描かれていたと思うだけに、「瞬間」が描かれていない(またはそのように見えてしまった)のは、余計に残念に思ってしまうのである。